04/30/2009
03/23/2008
カレー
最近、出かけることが分かっている日の前日は、カレーを煮ておくことがよくあります。こあらじいじからは、“俺はカレーなら毎日でもいいなあ”などと子供のような言葉で歓迎されるし、それにまあ、とても楽ちんですから。
お休みのある日、翌日のカレーを煮ておこうと朝から仕込んで、あとは煮込むだけの状態で買い物に出かけました。 帰宅すると、こあらばあばが鼻歌交じりで、カレーをかき混ぜてくれています。 料理は、この頃では、難しいことの一つのようなのですが、段取りが整えば、お野菜を洗うとか切るとか、炒めるなどはやってくれるし、毎朝おみそ汁もばあばが作ってくれます。
そして、昔からの習い性となって身に付いているので、台所で何か途中のものにはついつい手を出したくなってしまうようです。私としては、カレーは明日用、今日はほかのおかずと思い、マイタケと黒酢炒めにするもやしを、洗って水切りで置いてあったのですが、見当たりません。
もしや、あやうし、もやし!とカレー鍋の中を覗き込むと!!![]()
そうなんです、ばあばは、私があとでカレーに入れるものとして、もやしを洗って置いておいたと思いこみカレーに入れてしまったのです。
私が日本を離れている間に流行ったスープカレー。食べたことがないと言ったら、友人が連れて行ってくれて、一度だけ食べたスープカレー。 もやし入りのカレーは、まさにそんな感じに水っぽくシャピシャピ。 お味のほうはまんざらでもなかったのですが、お箸でもやしをつまんで食べるような結果となりました。
その前にカレーを煮た際には、なぜか、デパ地下で買った、ちょっと高級な揚げだし豆腐かにあんかけがなくなっていて・・・ そちらも特製あげだし豆腐カレーのほうは美味しかったんですが、もったいない! 揚げだし豆腐でいただきたかったぁ。
その時は冷蔵庫にお刺身用いかとたこがあり、それらが無事だったことにホッと胸をなでおろしました。一歩間違えば、シーフードカレーでしたからね。
しかし、カレーってすごいですね。大体のものは自分の持ち味に変えて、取り込んでしまう器の大きなメニューだということがわかりました。
まだまだ、ばあばの挑戦は続きそうです。![]()
03/09/2008
母のこと
母の行動に最初に不思議ちゃんを見つけたのは、2004年の11月、シドニーから一時帰国してきた時でした。
2週間強のお休みが取れたということで、私の日本滞在がいつもより長かったこともあり、両親は2泊3日で奥湯河原の温泉旅行を企ててくれておりました。
母と温泉に入ってのんびりしているところに、お二人の老姉妹が入ってこられ、ちょっとお話をした後に、母が先に露天風呂をあとにしました。
私が少し遅れて脱衣場に入ると、母が自分のものではない脱衣籠の中を“おかしいおかしい”とひっくり返しています。一見してほかの人のものとわかる籠に手をかけているということにまず、びっくりして心臓がバクバクしたのを覚えています。母の籠は棚の一番上に置かれてあるのに、それには目もくれず、違う人の籠の中を探っているのですから。
母の浴衣の入った籠を取ってあげると、いつもの表情に戻り “あら、やだ。間違ってかき混ぜちゃったわ、どうしよう。”といいながら、また丁寧にその方の洋服を畳みなおしたのでした。
まったく、今思えば・・・本当に今思えば・・・なのですが、それが初めての不思議ちゃんだったのですーその時は確かにびっくりしたのですが、同じ籠に入っているのだから、間違えても仕方ない、くらいに私自身も思いこもうとしていたのかもしれません。
母は、私には隠していたのですが、その年の春に朝ごはんを食べているとき、お箸をポトンと落とし、手が痺れて病院に行っていました。軽い脳こうそくが起きていたようで、CTとかMRIとかの脳の検査をしたのだそうです。
私はその帰国時、この話を父から聞きました。ショックではありましたが、後遺症も残らず、すぐに病院に行ったから良かったのだと聞かされ、安心もしていました。
しかし、その奥湯河原での出来事は、なにか私の心に釈然としない不安を植え付けたことも事実です。
シドニーへ戻り、2005年1月の末、会社での事件が起き、帰国するか、残って戦うか!の選択を迫られたときに、帰国を決断するよい機会かもしれないなと冷静に思ったのは、母のことがあったからかもしれません。
母はその後、一昨年(2006年)の春にも、今度は足が痺れ、病院へ行くと、脳梗塞で絶対安静と診断されました。その時、私は東京で仕事に戻っており、毎日帰宅は12時、1時という日が続いていました。あまり看病も出来なかったのですが、母は懸念されていた、小さい脳梗塞後の一撃にも合わず、手足にも全く異常を残さずに1週間ほどで退院できたのでした。
しかし、そのせいによる認知症は進んでいたのですね。最近では不思議ちゃんが頻繁に現れるようになりました。不規則な仕事を辞めた私には、たっぷりの時間と余裕があるはずなのに、毎日が忙しなく過ぎてしまい、30年以上書き続けている日記は、毎日ほとんどが母のことになってしまいました。
しかし、ブログには “惚けるなら死んだほうがまし”と言い続けている(今でも!) 母に<告知>をするようで・・・ なかなか、母のことを書き始めることができませんでした。正直言って今もまだ、その気持が完全に吹っ切れたわけではありません。
母は、陽気でユーモアがあり、機転の効く人で、今でもそれは変わっていないようです。しかし、不思議ちゃんには理屈が通らず、そのたびに周りはショックを受けるのです。そして、母親が自分の中で非常に大きく、絶対的存在であったことを改めて感じたり、自分の器の小ささに自己嫌悪に陥ったりしてしまうのです。
認知症という病気自体は、なかなか捉えどころがなく、わかりにくい病気であるため、私をはじめ本当のところを知らない方が多く、家族や、介護をしている方々が大きな不安を抱えています。
02/03/2008
大雪
猛暑お見舞いの次のアップデートが大雪の日とは?ぼけぼけですね!!
東京は昨夜から雪が降り始め、はらはらとまだ降り続いています。
昨年はなんともせわしない一年でございました。
‘年の瀬’の声を聞くころ、この一年何もしないで終わってしまう・・・と胸騒ぎとともに焦り出し、何かしないと!と藁をも掴む想いで、急きょ一番苦手である“走ること”を始めました。始めたと言っても、時々通っているスポーツクラブに“初めての方でも走れます”というランニングセッションのチラシを見つけ、参加してみることにしたのです。 11月の最後の月曜日のことでした。
会社が終わって夜7時半から約2時間。プロのランナーが教えてくださるランニングセッション。参加者は老若男女様々ですが、みなさん既に板に付いたスタイル。私はというと、小学校以来、走ったことがないといっても、まさか本当とは思われず・・・。
夜の公園を走るのですが、面白い発見もいろいろありました。その話はまた追ってゆっくりと~。 最初は、休みながらも、3Kmくらいでしょうか? 自分では1Kmも走れるかな?と不安なレベルだったのですが! さすがにへろへろで、次の日は股関節がばらばらな感じで筋肉痛とは思えない痛さ。 人一倍長い右足の人差し指も、親指の犠牲となり、爪が死んでしまいました。
それから師走、夜の同じセッションに3回参加しました。何か目標があったほうがと、1月の新宿シティハーフマラソンに申込。 もちろんハーフなんて行けるはずがないので、10Kmです。先生から、せめて1週間に1回は走ってくださいよ~と叱咤激励されながらも、一人で走ることはしないまま、1月27日の当日を迎えてしまいました。
その週はなんと、ノロウイルスではないかと診断された胃腸炎から実は風邪だったという、アンラッキーも重なってしまいました。しかし咳は少し残っているものの、大会の雰囲気だけでもと挑戦することに。無理して迷惑かけたら、元も子もない、途中棄権も勇気のうち、と自分にエクスキューズしながら、走り続け、なんとか、ぎりぎりの71分で完走出来ました。やった~~~~!75分までには入らないと完走にはならないんですね!
完走も一人だけ涙、涙、と感極まるものがあったのですが、それ以上に次の日、予想していた筋肉痛がなかったことに、関心してしまいました。
というわけで、遅ればせながら、私の2008年が年明けした次第です。次はハーフですね?と皆さんに言われるんですが、何しろ走ることが好きなわけではないので、どうなる事やらです。今は少しづつ、マイペースで続けていければいいなと思っています。



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